協力業者さんの送迎会
先ほど仕事でお世話になった業者の担当者さんが退職されるため、送迎会がありました。
良い仕事をしたいタイプの人で、その分かなりキツイことも言う人でした。
当社と仕事をし始めたのは、32年以上前だそうです。私が生まれて間もない頃から、もう働いていたとは。
私がその業者さんと初めて仕事で関わったのは入社2年目の時でした。
一緒に仕事をした期間は短いけれど、特に現場監督をやっていた時に起きた問題など、たくさん助けてもらい、成長させてもらったと思う。
しかし、一緒にお酒を飲んだのは今日が初めてでした。
仕事以外の話をたくさん聞かせてもらいました。
高校の頃から家を出て、アルバイトをしながら高校を卒業したこと。
大学に行きたかったが、自分一人の力で家賃や学費を、払うのが難しいだろうから、就職したこと。(大企業)
転職してから若いうちは休みなく働き続けていたこと。20代のうちから生前贈与を計画して貯蓄していたこと。(そして既に生前贈与が終わっている)
独学でたくさん資格を取ったこと。
今まで知ることもなかった、努力のエピソードに圧倒されました。
バブル崩壊後の就職氷河期世代を生き抜いてきた人は本当にすごいと思う。
気持ちを強く持って
先日闘病の末に母が亡くなった。
1年5ヶ月の癌との闘病生活だった。
相当な痛みや苦しさだったと思うけど、全然言葉に出さなかったと看護師さんから聞いた。
気持ちの強い母だった。
少し悲しい内容になると思うので、苦手な方は読まないでください。
先日マンションの契約中に父と妹からラインと電話があった。
契約書の説明等を中断してもらい、父に電話をかけた。母の様態が悪くなっているらしく、家に帰ってこれないかという内容だった。
しかし、契約書の説明を聞いてる途中だったので、すぐには帰られず、あと1時間後くらいに家に向けて出発すると伝えた。
すると母が私と話したいとのことで、電話に代わってくれた。
「〇〇〇か?ママ元気やで、元気やで、心配せんといてな。〇〇〇ちゃんにも大丈夫やでって伝えといてな」と話してくれた。
母の声が少しずつ母方の祖母の声に似ていってると以前から思っていたが、その時の声は祖母の声と同じに聞こえた。
話す体力も残っていないような中、頑張って話してくれているのがわかった。
同時にもう厳しいんだろうなと感じた。
自分は相槌を打つことと、わかったとだけしか答えられなかった。そっけなかったかもしれないが、心配させたくないんだろうなと思い、その時はそれしか言えなかった。
そして涙が止まらなかった。
電話を切った後、契約書の説明に戻ったが、その最中も涙が止まらなかった。もちろん子供みたいに泣きはしないが、無表情で我慢してても涙は止まらず、足早に説明してもらってサインして、その後のリノベの打ち合わせは無しにしてもらって帰った。
家に着くのは17時くらいの予定だったが、16時半くらいに救急車で母は病院へ運ばれることに。病院へ行くと面会は出来ないので、結局その日は実家へ帰らなかった。
次の日のお昼頃、母の様態がさらに悪化し、もう厳しいらしく、病院へ向かった。
病院に着いたが、既に母の心肺は停止していた。
死因ではないが、母は終末期にコロナウイルスにも感染していたようで、母と一緒に暮らしている父と、昨日家に帰ってきていた妹とその他親族が数名、濃厚接触者となり、防護服を着て母との最後の面会となった。
コロナウイルス感染者が亡くなった場合、通夜は出来ず、翌日に火葬をしなければならないそうで、気持ちの整理もできないままに、翌日に火葬となった。
基本的に濃厚接触者は動けないので、病院から火葬場への遺体の搬送の立ち会い、火葬前の最後の見送りは自分一人だけしか出来なかった。
花束と手紙を棺の上に起き、最後のお別れをした。
母を亡くすってこんなに寂しいんですね。
昨日から気持ちの整理が出来てきたけど、夜眠る前に母のことを考えてしまい、悲しくなってしまいます。
また、私は家族に対して割と冷たい態度をとってきました。一人暮らしの時は一年に一度も家に帰らなかったり、恋人の話をしなかったり。家族旅行も参加しなかった。
両親は高卒、専門学校卒ということもあってか、特に私が大学生くらいから考え方や価値観の違い、普段の暮らしの中で両親に対して素直に良いと思えない場面が増えていきました。
私たちの世代は比較的苦労した世代だと思います。結果的に親を頼らない人間に成長することに繋がりましたが、今思えばもう少し甘えてもよかったかもな、と思っています。
そうしていれば、最後に母と通話した時の言葉も、きっと違った内容になっていたのかなって。
骨壷を受け取ってから、寂しさもマシになった気がします。
母は気持ちの強い人だった。
母の強い気持ちを見習い、強く生きていきたいと思う。
勝手にコントラスト感じて
先週の土曜日、会社の同期の結婚式があった。
2019年にやろうとしていたところ、コロナ禍で2回延期になり、やっと念願の開催となった。
前日の金曜日に梁長さ問題が発覚していた私は、11時半頃まで会社で仕事し、急いで福岡へ。
開始30分前に会場に到着した。緑豊かな会場で、天気も良く、緑が輝いていた。
久しぶりに同期にも会えた。会社を退職した同期がひげもじゃになっていた。
緑の中に白のドレスとタキシードが映えていた。
披露宴会場も大きな開口部から木々が見え、明るく、気持ちのいい空間だった。
マスクや衝立こそあるが、式自体はコロナ以前と同じように行われた。
楽しいひと時はあっという間に過ぎていった。
文武両道な新郎、カッコよかったよ。
宿を取っていなかったが、同期の宿が5人部屋ということで、宿泊させてもらうことに。
2次会は同期だけでひっそりと、中洲川端の「つきよし」というお店(良いお店)で飲んだ。
久しぶりに同期と集まり、3畳ほどのスペースに6人で円卓を囲むスケール感が心地よかった。
その後、川沿いのアイリッシュパブへ移動し、テラス席で飲んだ。
夜は涼しく、終電を気にせず飲む開放感と同時にくる寂しさ、最高だったよ。
この時点でひげもじゃの同期は結構酔っていた。彼も転職する前は、過酷な時期を過ごしたことがあった。しかし、今は比較的に自由に働ける環境におり、以前よりもすごく健康な顔つきになっている。そして痩せたね。
自分は髭を脱毛し、会社は継続、運動不足という中で、対比を感じ、彼がより輝いて見えた気がした。
宿に戻った後、4時半くらいに就寝した。
翌日のチェックアウトで会社の同期と別れ、大学の同期に時間を作ってもらい、お昼ご飯を食べた後、帰路に着いた。
一級建築士に合格して思ったこと
一年お疲れ様でした。
青谷の梅酒を飲みながら、紅白を観ながら書いています。
梅酒が美味しい。
今年からは紅白、男女関係なく紅組と白組に別れるということで、また世界が一つニュートラルに近づいたように感じます。
さて、先日一級建築士の製図合格発表があり、合格することが出来ました。
やっと終わらせることが出来ました。もちろん職場の皆さんのご協力のおかげです。
学科試験と製図試験日の三日前から休ませて頂き、不安な部分をしっかり対策出来たことが、落ち着いた集中力の発揮につながり、合格につながったと思います。
今年のあの計画はダメですよ、本当に!
合格の報告をしたところ、広島で同じ事務所の皆さん、大阪の事務所の上司、家族、義理の父母など、たくさんの方からメッセージを頂きました。ツイッターでもたくさんの方にいいねを頂き、めっちゃ嬉しかったです。
仕事では普段ネガティブな言葉ばかり浴びる日々ですが、自分の合格にこんなにたくさんの方が喜んでくれたことに、幸せを感じました。
苦労して合格した経験がある人ほど、強く応援して頂き、共感して喜んでもらえた気がします。この嬉しさを、今度は応援する側として、これから受験する方を応援して行きたいと思います。
では、良いお年を!
20210105
年末年始休暇は12/29〜1/5まででした。
今回は双方の実家への帰省はしないことになり、ずっと広島にいました。
写真は太田川を散歩してる時の写真です。
ランニングシューズをもらったので、この休みはちょくちょく散歩やジョギングをしました。
今まで全く運動していなかった自分には大きい変化です。
家の近くに川があるのも歩くモチベーションになっていい。
家を買うなら自然が近くにあるところがいいなと改めて思ったな。
あともう一つ最近の大きな変化として、総合資格について行けています。
今までは平日や休日に勉強をする気力が起きず、時間とお金を浪費していましたが、今は調子がいいです。
どうかこの1年このまま走り切れますように。
見守っていてください。
変わっていく景色
今日は一級建築士講座の開講日だった。
何度目やねんってツッコミはしないでくれ。
金銭的にも学校は今年が本当に最後。
休憩時間中、出向先の支店の新入社員に挨拶された。その子はとても緊張しいなのか、いつもえらく恐縮している。この会社で大丈夫か既に心配だ。
自分も同じように入社1年目の時があった。
日々の流れは勢いを増すばかりだ。
少し前までは予想もしなかったことや、知らなかったことが今日では当たり前になり、明日にはまた何かが変わるんだろう。
そして私はその記録を断片的にSNSへ漂流させる。
窓を開けて、鈴虫の音と風を取り込み、電気は豆球の明るさで、カネコアヤノをかけながら、今日は晩ご飯を一緒に食べれる。
そんな日々がいつまで続くだろうか。
もっと幸せになれるのだろうか。
20200815,16
数年ぶりに花火をした。
花火で星を描くなど。
毎年行ってたわけじゃないけど、花火大会や夏祭りのない夏はやはり物足りないね。
サカナクションのオンラインライブを見た。
明日から仕事とても嫌だが、前向きに頑張るか。